Pencil ✒︎ Pencil -ADHD修行編-

ADHDについて正直な話 最近落ち着いた

好きだからこそ恥ずかしくなる悪い癖

「自分にできることはなんなんだろ・・・?」

 

ここ最近考えていることってばそんなことばかりです

 

ニュースを見ていると、自分の同世代の人間がどんどん活躍の場を広げていくその様をいやでも見せられて、心の奥底で嫉妬している自分がいます

 

大谷翔平、羽生結弦・・・・・・・・・・・・あと・・ジャスティンビーバー・・?

あれ、思いつく人意外とそんなにいねーな

 

ニュースで同世代の人間の名を見るたび、心の奥底で仄暗い噴煙がくすぶり始めるの感じますが、そんなしょうもない自分が受け入れがたくて無理やり「すげぇな〜 素晴らしいな」と口にしています

 

まぁそんなことはいいんです

 

肝心なのは、じゃあ今の自分には何ができるのか?

ムカっ腹の立つ彼らの名を見て、じゃあそこから自分は何を指針とすべきなのか考えればいいのです

 

すると大抵は

 

「彼らは自分の道を信じた その道を楽しんで、惜しみない努力と情熱をストイックに注ぎつづけた 同じことを自分もすればいいのだ」

 

という、素晴らしきありがたい模範解答を、僕の心の中のお師匠様が授けてくれます

 

でも、じゃあその道って何さ?

 

と聞くと

 

なんの答えも返ってきません

 

お師匠様はのそのそとコタツに潜り込んでみかんを食べ始めます

シカトすんなコラ

 

そこで、質問を変えみる

「なんで自分にはその道が見当たらないんだろう」

 

するとお師匠様は、屁をこきながら振り返りこう答えます

 

「いや、いくらでもその道はあったのに自分で遠ざけてきたんやろ」

 

好きになると恥ずかしくなる

正直にいうと

なんかひねった文章作ろうとして、途中で訳分からなくなりました

すません

 

ところで、自分でも意味不明なんですけども、好きなものを見ると恥ずかしくなってしまうのです

 

例えば、僕はとても気になっていた映画作品「おおかみこどもの雨と雪」(2012)を見たのは公開してから2年経った2014年

 

最近だと「君の名は。」とか、Netflix配信の「DEVILMAN cry baby」とか、ちょっと前なら「風立ちぬ」とか

 

見たいけれど今だに見ていません、恥ずかしくて

 

絶対自分の琴線に触れるとわかっているのに、見るべきなのにそこに踏み込むとなるとめちゃくちゃ恥ずかしくなる

 

中学時代も、部活動でどうしてもソフトテニス部に入りたかったのに、なんか恥ずかしくて他の部活にしたり

 

認めたくない自分をまざまざと見せつけられるから

 

だいたい自分が好きになるものっていうのは、なんかこう自分の心の奥底に隠れている自分の趣味趣向、外連味と性格的ないやらしさ、そんな性質、性癖はっきりと表現しているものだということ

 

そして、自分のそういう部分を死ぬほど認められない

 

大好きだってわかっているのに、そこを認めてしまうと自分の下らなくてちっぽけなプライドが崩れ去ってしまうのです

 

例えるならば、「あ、あんたなんか好きじゃないんだから・・・!」ってやつです

 

そして、そこにどっぷり浸かってしまえば、もしかしたら最高の開放感と熱意が湧いてくるってことも知ってる

 

それでもやっぱり、自分はこういう人間だと提示されると恥ずかしくて仕方がない

 

自分を、もっとカッコのよろしいオブラートに包んで人前に出さないと気が済まない

 

そんな自分だから、Twitterとかで自分の趣味を非常にオープンに晒して楽しんでいるのを見るととても羨ましく思うと同時にムカつくのかもしれない

 

もっと正直になれればいいのに