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国立大学受験、浪人、フリーター、自衛隊受験を経て、22歳の時にADHDが発覚 心の師匠はB’z

発達障害には「お前面白いな」が一番効くんじゃないか?と思う

 

発達障害は障害か? からの贈り物(ギフト)か?

 

度々議論の的になるこのThema

 

「自分が発達障害だと知った」

 

又は、

 

「自分の子供、親族が発達障害だと発覚した」

 

発達障害は生まれつきのもの

大きな変化は見込めない先天的課題である

 

さぁ、そんな救いようもない壁にぶち当たったときに、どう飲み込むべきなのか?

 

前に進むにはどのような姿勢が正しいのか?

 

個性か

 

一つは、「無理に変えるのではなく、自立した個として認める」

 

 変えようとしないでいい、理解されなくてもいい

 

だけど、自分の長所を認めて積極的に伸ばしていこうよ

 

誰もができるわけじゃない才能を持っているんだよ、価値ある存在なんだよという論です

 

問題も長所も引っくるめて個性だという言葉で、受け入れる

 

しかし、それでは「長所があれば、迷惑をかけても良いのか? 改善しなくても良いのか?」という疑問が湧いてきます

 

障害か

 

いやいや、自分の問題や欠点を改善できないだなんて片付けることはできないし無視できないよ

 

それに長所とか胸を張れるほどにも卓越しているわけじゃないから金にもならんし、むしろ生活をする上では邪魔なだけなんだ

「障害でしかない」んだと

 

これは障害だと認めて、マイナスからの脱却を目指そうとする姿勢です

 

しかし、コレもダメなどうしようもない自分を無視することができないやらで、ただただ疲弊していくばかり

 

上には上がいるので、いつまで経っても自尊心は満たされません

 

急に我に帰る藤原竜也

 

「発達障害を誇ろう!」

「かけがえのないギフト!」

「障害は障害」

「現実逃避すんな」

 

ぶっちゃけどちらの陣営に転がろうが、何にも変わらないです

 

極端なプラス思考ドン底のマイナス思考

僕自身、答えと救いを求めて今まで何度もこの間をシュバババっと転がってきましたが、

結局のところただの一喜一憂

反復横跳びを高速で繰り返し、ふと我に帰って「俺はなんなんだ?」という虚無に落ち込むだけでした

 

自分をプラスマイナスどちらかを切り捨てて選択しても、何も救われんのですよ

どちらも自分の一部であり、どちらも同様に問題を産み落とすのですから

 

「偶数で喜び高めだが3の倍数で絶望する藤原竜也になる。ただし7の倍数では我に帰るものとする」

という状況を想像してみてください

 

「1」

「2(キンキンに冷えてやがるぅぁ)」

「さぁ”ぁぁ”ぁ”ぁ”ぁ””ぁ”ぁぁ”ぁ”””うああああああああああ」

「4(勝ったんだよぉぉ! 利根川ぁ!)」

「5」

「僕はキラなんかじゃない信じてくれよぉお”!」

「7(なんで変な役ばかりなんだ?俺は)」

「8(計画通り)」

 

すごいよね藤原竜也

 

まぁ、そんなことよりも、言いたいことは答えなんてないということです

 

ただ、こういう言葉を使うのはどうでしょうか?

 

「お前面白いな」

 

それ以上もそれ以下もない、そんな根っこを見つめる言葉で生暖かく見守ってやったらどうでしょうか?

 

この言葉に救われてきたのは他でもない僕でした

 

小中高と空回りを続けて、家に帰っては風呂場で一人反省会を繰り広げてきました

 

「みんなに嫌われているんじゃないか?」

「どうしようもないダメな奴だ」

「いやいや!! 俺はやればできるんだ! きっとビッグになるんだ!」

 

両極端にふれ続ける自尊心

それでも何も変わらない、変えられない日々

 

そんな中にあって、あるクラスメートがこう言ってくれました

 

「お前面白いな」

 

ダメなところも、僕が不意に会心の一撃を放った時も、全部ひっくるめてただ一言「お前面白いな」

 

彼には僕が、銃弾の雨をタップダンスで避けようとしているように見えたのでしょう

 

銃弾がかすって慌てふためく様も、たまに神がかった回避を見せる意外性も(自分で言う?)、

それだけじゃなく、普段の何気ない会話の中でも「面白いな」というポイントを拾ってツッコんでくれる存在

 

そんな存在がぽつぽつといたから、僕はかすかに存在意義を持てたし、そして今も生きているのかもしれません

 

ここまでこんな長文に付き合ってくれるなんて

「アンタ面白いね」

 

 追記

誤字脱字多すぎてビックリしました